徒然なるままに

医学生がつれづれなるままにいろんなことを思う

当たり前のレベルを上げることの大切さ

medu4のプリントを整理していたら、こんなものが出てきました

 

 

血液の問題っぽかったら血球量見るなんて、みなさんにとって当たり前ですよね(笑)

今のぼくにとってもこんなもの当たり前なわけです

 

これを書いたのはおそらくちょうど去年の今頃ですから、4年生の夏の試験前でしょうか。

血液のセクションの表紙のページに書いてしまうなんて、この知識(?)は当時の僕にとって最先端を行くものだったのでしょう(笑)

 

これを見て僕が思ったことは

 

当たり前のレベルを上げることの大切さでした。

 

なぜこのメモを見て今の僕は笑っていられるのでしょうか

それは間違いなく僕自身が成長して僕の中での当たり前のレベルが上がっているからです。

ということは自分が成長することと自分の中の当たり前のレベルを上げることは相関するということが言えますよね?

 

 

 

ここでぼくはもっといろんな面で成長したいので自分の中の当たり前のレベルをいかにしたら効率的に上げられるのかを考えました

 

するとあるロールモデルが頭をよぎりました

 

それは優秀な中高一貫校の受験システムです

 

ぼく自身関東の某有名中高一貫男子校(東大合格者TOP10以内)に通っていたのでわかるのですが、べつに学校で受験の裏技を教えてもらったり特殊な教育が施されているわけではないのです。

 

ほかの高校と比較して恵まれているのは周りの人間のレベルなのです

 

いまおもうとかなり特殊な環境にいたと思うのですが、クラスに50人弱いてそのうち40人が東大か医学部に入っていきました。これは実話です。

 

とするとおのずと日常会話はもちろんのこと個々人のDNAレベルで当たり前のレベルは上がっていきます。

 

いちばん印象に残っているのが日本史の試験でみんな90点以上は当たり前であったために下1桁の数字で自分の点数をほかの人に伝えていたこともありました。

 

ようはある一定以上の点数は取れて当たり前でそれよりさらにうえでしのぎを削っていたわけです。

 

ブラジルの子供たちがサッカーがうまいのも、ルネサンス時代にさまざまな有名な芸術家が誕生したのも同じ理屈です。

この辺の集団心理のメカニズムみたいなものをかくと長くなってしまうのでまた別の記事にしますね笑

 

やっぱり環境って人をいい意味でも悪い意味でも変えてしまうんだなあ、と思いました。